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だいし誕生秘話

第四銀行の設立

大名が統治していた藩がなくなり、県制がしかれて2年後の明治6年、第四銀行の前身、「第四国立銀行」は誕生しました。 明治5年に制定された国立銀行条例(日本最古の銀行法令)に基づき、主要都市に4つの銀行が設立されました。 当行は現存する銀行では日本で最も歴史の長い銀行です。

初期の国立銀行
第一国立銀行:東京
第二国立銀行:横浜
第四国立銀行:新潟
第五国立銀行:大阪

第四銀行の名前の由来と開業免状の番号のなぞ

第四銀行の名前の由来と開業免状の番号のなぞ

「第四国立銀行」の名前は、4番目に銀行設立の許可を受けたことから付けられています。 また、第三国立銀行が株主間で紛議が生じ開業に至らなかったことから、第四国立銀行の開業免状の番号は第3番目になっています。


なぜ新潟に国立銀行ができたのか

当時の新潟は、長崎、函館、横浜、神戸に次ぐ全国5番目の開港場として中央政府から重視されていました。当時の新潟県令(今の県知事)楠本正隆氏は、我が国三大県令の一人に数えられるほどの人物で、彼が強力な指導力を発揮して有力地主らと共に、第四国立銀行設立に全力を尽くし、国立銀行の設立に至りました。

行章の由来

銀行創立のため上京した委員は、明治7年1月宿舎で柿の実を賞味しながら 行章の意匠を凝らしていました。 委員の辻金五郎(最初の東京支店勤務行員)が柿の横断面からヒントを得て、白紙を切り抜き、 朱椀(しゅわん)の上に広げ、「是れ豈(あに)光彩四隅を爛射(らんしゃ)する太陽の形象に あらずや。亦以(またもっ)て第四銀行の前途を祝福するに足らん」と提案し、行章が生まれました。

第四銀行 行章

第四銀行 行章

この行章をクリックするとアニメーションで
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「第四国立銀行券」について

「第四国立銀行券」について

現在、紙幣の発行は日本銀行でのみ行われていますが、かつては各国立銀行で発行が可能でした。当時の日本には高度な印刷技術がなく、印刷はアメリカのニューヨークで行われていました。 紙幣のデザインは各国立銀行とも同じで、中央左右の印と銀行名は大蔵省紙幣寮で押印し、各銀行で頭取、支配人の署名捺印を印刷しました。


現在に至るまでの本店建物の移り変わり

銀行の建物は常に堅牢を誇り、なおかつ時代の先端を行く建築とされていました。
本店建物は、いつの時代も「信用」のシンボルといえます。

創立当初の本店

創立当初の本店

いかめしい塀がめぐらされ、角には警備のための警官の詰め所が設けられるなど、創立当初の本店は近寄り難いたたずまいでした。この建物は明治13年の大火で焼けてしまいましたが(もちろん金庫は無事でした) 、その教訓を生かし、明治15年には土蔵づくりに変えられました。

昭和3年に改築された本店

昭和3年に改築された本店

その後、一部を残して取り壊され、昭和3年に鉄筋コンクリートに改築されました。改築後の建物はギリシャ建築を模した巨大な柱に象徴される典型的な銀行建築でした。昭和30年の大火では、新潟市の中心部がほとんど焼き尽くされましたが、当行の本店建物は懸命な消火作業により、ほとんど無傷で残りました。さらに昭和37年には、スマートで親しみやすい銀行にと、近代的な建築に生まれ変わりました。

現在の本店

現在の本店

そして平成4年、創立120周年を記念して新築されたのが現在の本店です。 周囲は堀割りが埋め立てられ道路に変わるなど、創立当初に比べると様相はすっかりと変わりましたが、創立以来、 本店の建物はずっと同じ場所に位置しています。

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